予測のできない未来が始まった
教育は予測のできない未来に立ち向かうというスローガンが、まさに目下進行中のこととして体感された1年だった。さまざまな言説が飛び交った。インフルエンザと変わらない、集団免疫ができるまで待つしかない、あと2ヶ月で収束か、2〜3年はかかる、9月入学に移行しようなどと。
本学でも話し合いが重ねられた。卒業式・入学式をどうする、何かできる事はないか。学校という場に密はつきものである。感染者が出れば、社会的非難を有形無形に受けるだろう。学校は明るく安心の場でありたい。感染予防をどこまで徹底するか、個々人の温度差もある中、判断は難しい。
遠隔教育への挑戦
4月早々遠隔授業に挑戦することになった。現代ビジネス科の学生は貸与のタブレットで、保育科・専攻科学生はほとんどが自分のスマホで対応する。
ZoomやYouTubeなど知りもしなかった教員たちが、全員遠隔授業に挑戦した。「対面授業しか考えられない」という抵抗は多くの教員にあったであろうが、早期の収束は見込めないことから、仕方なく(考え方を柔軟にして)工夫することになった。感染の第3波まで、間に対面授業を挟みながら遠隔授業を実施している。今では機器の操作にも慣れ、パソコンに向かって一生懸命語りかける教員の姿が見られる。礼節の授業では、画面越しに学生たち全員が自宅で基準服姿で勢揃いしており、教員をびっくりさせた。
ICTによる教育イノベーション
驚いたのはICT(情報通信技術)の日進月歩である。Zoomでは、何十人の学生と一度に画面上で対面しながら、スライドや資料を見せ合い話し合うことができる。
YouTubeを使えば、都合のいい時間に授業を視聴し、繰り返し再生もできる。教師と距離は教室よりも近いかもしれない。
クラスルームでは資料を全員に配り、課題を提出させ、テストも回答と同時に採点しコメントをつけて返却できる。教室で学生にワークシートに記入させ発表させていたことが、回収や発表の時間をロスすることなく、文字上(口頭ではない)で全員と双方向のコミュニケーションができる。
これらのソフトはいずれも無料で、新たな費用がかからない。かつてヨーロッパでペストの流行が印刷技術のイノベーションを促したと言われるが、コロナも教育のICT化イノベーションを促している。
教育の不易と流行
ICTがすべてを解決する訳ではない。フランスの社会学者デュルケームは教育を方法的社会化と呼んだ。個人的存在として生まれた子どもを、人間が築き上げてきた社会に適応できるように文化を習得させていくことが教育だ。言語(文字)的文化はICTに乗せやすいが、非言語(非文字)的文化、身体的文化はICTに乗せにくい。
分かりやすく言えば、取っ組み合ってけんかしたり、愛情表現をしたり、みんなで息をあわせて協調したり、生身の人間が付き合っていくときの作法(文化)がなおざりにされてはならない。SNSでは人を鬼の首を取ったように攻撃できても、リアルでは挨拶もろくにできないようでは社会人失格である。
慣れ親しんだ常識や前例に囚われていたのでは進歩はない。コロナに押されて始まる教育のイノベーション、しかしICTと対面のハイブリッド方式で、複眼的思考を大切にしたい。