未知への適応
「先が見えない」「落ち着くことのない」「急激で」「複雑な」変化の未来。
コロナ禍はまさにこれからの未来を暗示する前哨戦のようだ。あっという間の事態に世界中の人々が右往左往している。
人は、訳の分からない事態が苦手である。過去の経験や馴染みやすい説明にすがりやすい。「私はインフルエンザに罹ったことがないから大丈夫だ」と根拠のない自信を示した人もいれば、「夏になればインフルエンザと同じで収まる」と言った人もいた。
災いなる成功体験
『失敗の本質』という日本軍の敗北を研究している本がある。帝国陸軍は西南、日清、日露の戦争の勝利から白兵銃剣主義を信奉し、帝国海軍は日本海海戦での勝利から艦隊決戦主義を信奉し、新たな事態への対応ができなかった。
成功体験は善くも悪くも将来に影響を与える。自信は困難への挑戦に不可欠であるが、状況を見誤る元にもなる。人生をそれなりに生きてきた大人は、時に過去の常識を捨てなければならないことがある。Unlearning(学習棄却)と呼ばれる。今、捨て去らねばならない過去の常識とは何か?
叩かれて育つ
昭和の時代、軍隊のみならず家庭や学校においても、痛い思いをさせて覚えさせることが頻繁にあった。確かにげんこつを加えれば、相手は言うことを聞くようになる。しかしそれは、強い者の言いなりになっているだけである。自分で何が良いかを考えさせていない。正解が見えない中で、強い者の言うとおりにさせるのではなく、子どもに考えさせ人と対話できる力をつけさせることが大切である。
一方的に叩かれ虐げられた痛みは負の連鎖を生み、誰かへの差別や虐待、DVにつながっていく。叩いた人も含めて人々が安心し共生できる社会を作ることにはならない。
学歴は地頭、学歴が人生を作る
昭和の時代においては、学力(認知能力)が社会の成長を牽引できると思われた。しかし先が見えない時代にあっては、過去の知識や技能だけでは対処できない。現実の問題を人々と協力して解決していける力が必要となる。それは学力とは異なる非認知能力と呼ばれる様々な力である。誠実さ、粘り強さ、自己統制力、共感力、自尊感情、打たれ強さ等々が挙げられる。これらは詰め込み学習では得られない。
今世界中が先を争って、非認知能力を育む幼児教育・保育を追い求め、大学教育にも質の転換を促している。大学入試が改まるのも、それで小中高の教育も変えるためだ。
過ちて改めず、是を過ちと謂う(論語)
大人のみならず若者も少ない人生経験で思い込み、決めつけにはまっていることがある。思い込みを開くのは、読書も含めて人との対話だと思う。