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宗和太郎前学長ブログ2015

清掃のこころ

 毎年恒例の全学一斉清掃があった。学友会主催、教職員・学生協働の年末の大掃除である。担当箇所を無心に掃く、拭く、整える、この気持ちよさを学生に味わってもらいたい。そして清掃を終えて、清められた場からいただく清々しさ。

 トイレ掃除をすると美人になると言われる。それも自分が使うトイレでなく、他人が使うトイレを掃除すると。なぜならそれは自分の為の行動でなく、人のための努力、利他的行動だからだ。利他的行動をすると、自分の心が洗われ、磨かれ、内面が美しい人になる。内面は自ずと外面に表れる。

 清掃のこころは、建学の精神の礼節と勤労の交差する所にある。礼節は自他の人間性を尊重し、人の立場に立って己を律することだ。礼節に反して自己中心的な考え方では、自分が使わない場所を清掃しても、面白くない。人の立場に立てるから、人が使う場所を清掃するのが楽しいし、清々しくなれる。

 勤労はコツコツ努力し、自分を向上させ、世のため、人のためになることだ。稲盛和夫は『生き方』の中で、「どんなときでも愚直なまでに真剣に物事に取り組み、真正面から困難にぶち当たって行く。それが、成功するための唯一の方法であり、私たちが日々心がけるべき原理原則と言えます。」「私たちが暮らしの中でもっとも実践しやすく、また心を高める方途として一番基本的かつ重要な要件は『精進』——、努力を惜しまず一生懸命働くことです。」と述べている。

 勤労を唯物的に、生活の糧を得る手段と考える向きも多いが、勤労には心を磨き、人格を練る精神的意義が含まれている。

 まさに今日の清掃は、建学の精神を具現化する行動だった。寒い中、清掃を終えて、戻ってきた学生たちの顔持ち、美人度が上昇していた。掃除をしたあとの清々しい気持ちを忘れないようにして、良い年を迎えてほしい。

(2015/12/17記)宗和太郎

希望と不安と

 本学では8年前から、入学予定者に入学までに継続的に学習課題に取り組んでもらい、本学にも足を運んでもらい、互いに交流し合う入学前教育に取り組んでいる。12月12日はその入学予定者が本学に集まるスクーリングの日だった。今年は例年よりも多い180名近い参加者が集まり、朝から賑わった。

 このスクーリングのねらいは入学前学習の促進と入学前の不安の低減にある。それぞれ入学予定者は「自分はついて行けるだろうか。友だちができるだろうか」と不安を抱えているだろう。でも来てくれたのは、希望を持って一歩踏み出す勇気を持ってくれたからに違いない。学生チューターの導きで小グループ活動に取り組み、あっという間に打ち解け、お昼には笑顔がいっぱい溢れていた。

 午後にはピアノ初心者向けの特別講座、48名の希望者がいた。右手のドの指押さえから始まり、ドミソの和音、左手で低いドミソの和音、それにシレソを加えたら、いつの間にか「ちょうちょ」が両手で弾けた!

 本学の誇る取り組みに、教職員が協力して教育改善に取り組むFD活動がある。機関紙の「FD・SDニュース」に本学講師小澤拓大先生が「上手な不安との付き合い方」を寄稿している。自分に必要で欠けているものを自覚すると不安になるが、課題を過大視せず、自分を過小評価せず、成長へのチャンスととらえて、具体的な取り組みを促すことだと書かれている。そのためにも重要なのは、不安を打ち明けられる教員の存在であると。

 昨年、学生たちから聴きとめたピアノへの不安、そこから始まった入学前のピアノ講座企画、不安から希望への一助になったと思う。本学教育の一歩の前進が生まれた。

 毎年、本学が学生全員に実施している生活調査に「困ったことや悩みを相談できる教職員がいますか」という設問がある。毎年上昇し、今年は65%の学生が「いる」と答えている。学生に安心できる教育環境を準備し、学生の一歩踏み出す勇気をそっと後押しする希望を育てる大学でありたい。

(2015/12/15記)宗和太郎

口演童話とアンパンマン

 本学の第5回の卒業生(昭和45年卒)が事務局長を務める縁で、全国童話人協会の第120回大会が宮崎で開かれることになり、本学でも学生に口演童話を披露いただけることになった。口演童話なるものに何の予備知識もなく、保育科の学生にとって見聞を広める機会になれば有り難い程度の思いであった。

 本学口演の前日、大会の懇親会に招かれ、楽しい食事を終えてそろそろお暇しようとしていた矢先、今から「夜語り」を始めるから集まってくれと言われ、迷っているうちに席も作られ案内され、言われるがままに座り込んだ。次々会員の語りが始まった。するとどうだ。あれよあれよの間に、語りの世界に引き込まれていた。

 これが話芸というものかと思った。絵本や紙芝居のような情景画もスクリーン画面もなく、音や音響もない。このうえなくシンプルな、人が肉体のみを使って語る。その声、リズムに間、表情に仕草、そこから生み出される豊かな世界、物語があり、すっかり感服した。

 2歳になる孫がいる。たまに遊びに来て預かるが、ぐずる時がある。そうしたときにとっておきの手が、アンパンマンのビデオである。途端に画面に食いつく。2歳の子どもがタブレットを指でさっさといじって、アンパンマンを映し出している。

 18世紀のフランスの思想家ルソーの出世作は『学問芸術論』だ。「学問芸術の進歩は人間性の向上に貢献したか」という懸賞論文のテーマに挑んだルソーの答えは「否」だ。ルソーの主張は「自然に帰れ」と纏められることが多いが、文明は人間を堕落させたと。文明が進歩するにつれ人間はそれに依存し、それ無しに生きていけなくなる。文明の進展に逆比例して人間の能力は退化していく。すると原始の人間が一番強力だったことになる。何もなくても、自分で生きていくことができたという想像仮説だ。

 アンパンマンのビデオの威力はすごいが、それに頼るようになれば、保育する者の物語る力は退化していく。子どもには語られ、そこで感じ、イメージを膨らます豊かな世界が失われていく。このうえなくシンプルな、人が人に肉体をメディアにしてコミュニケーションをとる世界が衰退していくとしたら、人間の退歩に繋がると言えるだろう。

 もしかしたら本学の学生にも、絵もなく音もない言葉だけの物語にもどかしさを感じた者もいたかもしれない。

 口演童話を直に見るというまたとない機会を与えてもらったことに感謝したい。

(2015/12/11記)宗和太郎

教育も研究も

 FDとは教員が組織的に学校の教育力の向上に取り組むことだ。本学では平成10年から始めた。文部科学省が全国の大学の優れた取組に補助金を出すGP事業でも初年度(平成15年度)に採択され、全国的に注目されるようになった。本学の誇れる取り組みである。

 それは旧来の教員中心・研究中心の大学像から学生中心・教育中心の大学へ脱皮する取り組みでもあった。それはこの17年間で、それなりに実現されてきたと言える。

 しかし研究面が疎かになっては、教育の内容が貧弱になる恐れがある。そこで今年度から学長裁量経費で研究費を支給する研究計画の募集を行った所、2件の共同研究の応募があり、2件とも採択した。「保育科学生のストレスマネジメント支援に関する基礎調査」と「保育に活かす『音遊び』〜音や音楽を使った遊びにおける子どもの変化」である。

 忙しい中、教育にも研究にも熱心にとりくんでくれるのは有り難い。研究の成果が出て社会に貢献できることを期待したい。

(2015/10/31記)宗和太郎

実習に向けて真剣な眼差し

 保育科1年生の基本実習に向けての会に呼ばれた。

 入学して半年、この間、学校での勉強のほかに保育施設への見学や自主実習を各自行ってきた。各自がいわば勝手に想像していた保育者と現実の保育者、そして自分ができることのギャップに戸惑ってきたことだろう。

 いよいよ附属幼稚園で保育者としての考え方・行動の仕方を学ぶ。総勢230名一堂に会して、代表2名が決意を述べた。230名が代表の発表を息を呑んで見守る。2名とも、現場での気づきを大切に、自分を成長させていく決意を立派に述べた。

 互いに励ましながら、保育者への階段を登っていって欲しい。

 うまくいかないことに負けるな。

(2015/10/30記)宗和太郎

繋がる笑顔・仲間50年

 今年の学園祭のテーマである。秋晴れの下、二日間にわたって学生たちの元気な笑顔がキャンパスに溢れた。秋は実りの秋だ。これまで学んで来たこと、築いてきたクラスの絆、企画のために練習してきたこと、それが二日間に凝縮してはじけた年一回のお祭りだった。

 ステージの歌やダンス、模擬店、子どもたちを集めての保育フェスティバル、その明るく賑やかな姿の背後には、躓きやとまどい、葛藤があったに違いない。それを乗り越え、見事にはじけて、さわやかに終えた。見事だったのは片付けである。学生たちが協力し合って「来たときよりも美しく」片付け、翌日は疲れた顔を見せず、授業に復帰した。

 学生たちの努力する姿に拍手を送りたい。努力は人を裏切らない。頑張れ。

(2015/10/29記)宗和太郎

「礼節・勤労」と人間の幸せ

 前回「人間の幸せ」の条件として、次の4つを紹介した。

 ・人から愛されること

 ・人から褒められること

 ・人の役に立つこと

 ・人から必要とされること

 人と人の間に生まれ、育ち、生きて「人間」と書く。人間は、人と人の間をどう生きていくかが大切である。

 

 本学の建学の精神は「礼節・勤労」である。相手に敬意を表し、節度を守ること、そして一生懸命努力し、世に貢献すること。これらは社会人として求められる基礎基本である。

 

 しかし同時に、私たちが幸せな人生を送るための基礎基本でもある。

 人から愛され褒められ、人の役に立ち必要とされるためには、その人の根本に「礼節」と「勤労」が不可欠だからである。「礼節・勤労」に欠けた人は、愛されも褒められもしないだろうし、人から頼みにされ感謝されることもないだろう。

 

 本学に勤めて33年になる。勤め出した頃は特に意識もしなかった建学の精神である。創立50周年を迎え、改めて本学は有り難い建学の精神を頂戴していると誇りに思う。建学の精神を学生の人生の羅針盤に据え、学生の人生と社会に貢献していきたい。

(2015/09/17記)宗和太郎

幸せになろう

 誰もが漠然と幸せになりたいと思っている。憲法にも「幸福追求権」が保障されている。私達が勉強するのも、働くのもそのためだと思っている。

 しかし、何が幸福なのか分かっていなければ、頑張っていることがそこに向かっているのか怪しいではないか。

 皆さんは、何を幸せと考えていますか?

 ・家族で楽しく夕飯を囲むこと

 ・おいしいものをお腹いっぱい食べること

 ・友だちとわいわい話し、大笑いすること

 ・あこがれの欲しいものが手に入ること、、、。

 ・結局はお金?

 どれも嬉しいこと、楽しいことに間違いありません。

 でも、それで幸せと言えるでしょうか?

 

 私達は、今、高度消費社会に生きています。食べるに困る社会でなく、商品やサービスは生きる必要以上に生産され、広告CMで消費の欲望を刺激され、「あれがあったら良いな」「これが欲しい」と誘導されているところがあります。その結果、いつも欲望を刺激され、いつの間にか自分の欲望を満足させることが幸せのように思い込んでいる所がないでしょうか?

 

 ある本に、人間の幸せは、次の4つが充たされるときと書いてありました。

 ・人から愛されること

 ・人から褒められること

 ・人の役に立つこと

 ・人から必要とされること

 どう思いますか?

 

 人間は人と人との間に生まれ暮らす存在です。間柄は、人間にとってとても重要な意味を持ちます。いくらお金があって何でも買えても、上の4つがなければ幸せとは言えないと思いませんか。

(2015/08/06記)宗和太郎

オープンキャンパス、本学訪問ありがとうございます。

 食い入る眼、私の言葉は伝わったか。

 

 オープンキャンパス、高校PTAの学校訪問、高校生の上級学校見学が相次いだ。

 学長として最初の挨拶に立つ。地元の短大、安心して来てくださいと伝えたい。

 

 欲張ると嘘くさい。しかし誇るべきものはしっかり伝えたい。その加減が難しい。

 

 本学の学生の良いところは、明るく素直で、すれ違えば笑顔で挨拶を交わす所だ。でも、ちょっぴり自分に自信なげで、だからみんなで励まし合って実習などの体験にのぞみ、自信をつけていく。

 

 本学は駅から坂道を20分上る。夏などは汗びっしょりになるかもしれない。でもここは幕末、安井蒼州・息軒親子が明教堂を建て、若者たちが切磋琢磨して学問し、その学舎を移して小学校にし、それを受け継いで本学の今日まで190年の歴史が続く場所だ。幾多の人間がここを巣立ち、郷土を支えた。

 

 「礼節・勤労」、傍目には特に印象に残らぬ建学の精神かもしれない。しかし人間が社会人となって幸せな人生を営む基礎・基本がここにある。

 

 本学の教職員は、と言おうとして止めた。

 高校生の輝く瞳、PTAの方のメモする姿、過ぎたるはなお及ばざるが如し。

 「本学の姿を肌身で感じていってください。」

(2015/07/08記)宗和太郎

宮崎市と包括的連携協定を結ぶ

 「礼節・勤労」の建学の精神の下、地域の課題を肌で知り、貢献を喜びとする人材を地域に送る

 

 宮崎学園短大は今年創立50周年を迎える。昭和40年、当時の清武町から土地を提供され、誘致を受けて本学は誕生した。「礼節・勤労」を建学の精神に、これまで送り出した卒業生の数は1万九千人に上る。本学は入学者の9割が県内出身で自宅通学率は6割、北は延岡、西は小林都城、南は日南から通学する。そして県内就職が9割の地元密着型の短大である。

 平成20年度から共学化し、男子学生の割合は1割である。学科構成は保育科、現代ビジネス科(ビジネスコース・医療事務・医療秘書コース)と専攻科(福祉専攻・音楽療法専攻)である。

 現在地域は少子・高齢化を迎え、更に人口減の問題を抱えている。

 若者の地元定着という点で、本学はそれなりの貢献をしてきた。また保育、介護という専門職の輩出で子育て支援、高齢者支援、医療秘書の輩出で医療現場の充実、産業界に寄与してきた。

 それらの仕事を通して地方創生に貢献するのみならず、卒業生が地方の課題を住民主体として解決へ向けて貢献できるよう、10年前より地域貢献教育プログラムを学生に実施してきた。その結果、学生達が地域に出ることで大きく成長するということを経験してきた。そこで、地域の学生を地域で育ててもらい、地域に貢献できる人材として送り出していくことを目指し、包括的連携協定を結ばせていただくことになった。

 本学は「礼節・勤労」の建学の精神の下、地域の課題を肌で知り、貢献を喜びとする人材を地域に送り出していく。市と協力していきたい。

 教職員も地域のニーズを知り、地域貢献を目指し研究教育していきたい。

(2015/06/16記)宗和太郎

放流した稚魚の帰りを待つ

 6月になると、2年生が3週間の実習に出かける。

 

 卒業生に短大で学んだことで何が一番勉強になったか尋ねると、決まって「実習」と答える。実習は教室での勉強と違って、一日の自分の行動が全部勉強であり、それが3週間続く一大イベントだ。

 

 実習から学生が帰ってくると、一回り大きくなっている。色々な出来事に鍛えられて、成長し、自信もつけているのだ。実習での学びは大きい。

 

 ただ場数を踏んだということとは違う。現場ではいろいろうまくいかないことを経験する。それをどうしたら良いのか分からない。そんなこと短大では教えてくれなかった。

 

 子どもの気持ちを考えてみる。他の先生はどうするか考えてみる。自分のとらえ方を考え直してみる。そんな試行錯誤の中で色々な気づきが生まれてくる。それが省察である。実践と省察の往復の中で人間が成長するのだ。

 

 思い通りに行かずに落ち込む日があってもいい。でも一晩寝たら、元気に明るく立ち向かって欲しい。

 

 川に放流した稚魚達が、大海をめぐり大きくなって戻ってくる日を待っている。

(2015/06/03記)宗和太郎

ウイスキー

 廊下で学生がすれ違い様に「ウイスキー」とつぶやいた。「ウイスキー」と返したが、学生は過ぎ去った後であった。別に学生は私の晩酌を揶揄したかったのではない。

 「教育原理」の授業では、教育を双方向のコミュニケーションとして組み立てることを学んでいる。そのファースト・レッスンが「スマイル・トレーニング」で、相手にスマイルを送ることを練習する。そのとき、口角を上げる合い言葉が「ウイスキー」なのである。

 大人は、コミュニケーションについて言葉と言葉のやりとりに視点を置きがちである。しかし大人でも言語的コミュニケーションはほんの一部で、大部分はノン・バーバルコミュニケーション(非言語的コミュニケーション)なのである。ましてや子ども相手では、ノン・バーバルの達人を目指さなければならない。目と目を合わせて微笑み合うことから、教育原理は始まるのだ。人類の歴史と共に、言葉が普及する以前から、人類共通の言語はボディ・ランゲージである。表情・視線・声・仕草・姿勢を発信し、受信し合う。

 笑顔は時に言葉より、相手の心に届く。不安なときに相手の笑顔でどれだけ救われただろう。

 本学の建学の精神は「礼節・勤労」である。礼節とは相手への敬意を表すことである。互いに敬意のないところに人間関係は成立しない。したがって、社会人にまず必要なのは相手に敬意を表す礼節を身につけることだ。

 「礼節は武器である」という人がいる。礼節をしっかり身につけている人は人間関係を築きやすく、有利になるということであろう。

 近年、日本と韓国、中国の間がとげとげしくなっている。前回安倍総理が習主席と合ったときは、目も合わせてくれなかったと報道された。その中国で慕われる日本人がいる。昨年亡くなった俳優の高倉健さんだ。それは私は、健さんがひたすら礼節と勤労の人だったからではないかと思っている。役者として、演技にひたすら徹し、人を喜ばすことを追求した。そして徹底して礼節を大切にした。そんな健さんのことを考えると、礼節は武器を不要にする平和の手段だと思える。

 本学の朝は、学生も教職員もさわやかな笑顔の挨拶で始まる。この挨拶のありがたみを肌身にしみこませて、社会へ送り出したい。誰にも温かな挨拶を送れる人になって、一隅を照らす人になって欲しい。

(2015/05/14記)宗和太郎

4月良いスタートを切れたことに感謝したい。

 明日からゴールデンウィークに突入する。といっても保育科学生は15回授業確保のため明日しっかり補講がはいっているが、午後からは休みである。新入生も8名の新任教員も、新年度ここまで走ってきて、やっと一息つけることだろう。忘れてならないのは、年度末からここまで、休むことなく裏方で新校舎建築へ向けて教室移動、研究室移動を突貫でやり上げた上で、授業、行事の準備にあたった事務職の皆さんの健闘だ。お陰で新学長も何とかここまで辿り着けた。

 4月25日は「春の忍ヶ丘祭」だった。以前は秋の学園祭を「忍ヶ丘祭」と呼んでいたが、春の新入生歓迎交流行事をそう呼ぶようになった。本学は幕末の儒者安井息軒の生家に連なる丘の上にあり、彼の「今は音を忍ヶ岡のほととぎす、いつか雲井のよそに名乗らむ」の歌にちなんで、この一帯を忍ヶ丘と呼ぶことに由来する。この歌は息軒の昌平坂学問所時代の作と聞くので、江戸のことで、本学の学園祭を忍ヶ丘祭と呼ぶのはいささか牽強附会ではないかと私は思っていた。しかし、開学当時作られた本学の校歌には「風わたる忍ヶ丘に学舎立てり」とある。当時すでにそう呼ばれていたのであろう。

 学生達は略して「春忍(はるしの)」と呼ぶ。そして前学長が名付けた「春忍日和り」に恵まれて、抜群の青空のもと、団対抗ダンスや綱引き、リレー等が行われた。新入生は先輩からダンスの振り付けを教わり、この日を迎えた。踊る姿は、みな笑顔があふれ、きらきらしていた。学生同士、そして教職員も、またゲストにお招きした地域の方とも互いの距離を縮めることができた。圧巻は保育科に比べて大人しいイメージがあった現代ビジネス科が、綱引きトーナメントで勝ち抜き、決勝戦で専攻科を勝ち抜き優勝したことである。綱を引く息が合っていたのだろう。

 新任教員の方々もすっかり馴染んできた。みんな笑顔で過ごせている。4月良いスタートを切れたことに感謝したい。

(2015/05/01記)宗和太郎

面倒だからしよう

 入学式を終えて1週間が立とうとしている。何度も入学式に立ち会ってきたのに、私が初めて学長として臨んだ式だからかもしれないが、今年の入学式には凜とした静謐さがあった。新入生の代表の言葉、姿勢に真摯さ、勢いが漲っていた。思わず涙が出てきた。

 私達人間は、毎日不要な緊張を避けて生きている。見慣れた場所でいつものように行動する。新たな見知らぬものに出くわすのはストレスだ。面倒だ。

 シスター渡辺和子の言葉に「面倒だからしよう」というのがある。「人は苦労を厭い、面倒なことを避け、自分中心に生きようとする傾向があり、私もその例外ではありません。しかし、人間らしく、よりよく生きるということは、このような自然的傾向と闘うことなのです。」(『面倒だからしよう』17頁、幻冬舎)

 儀式は、人生の節目、節目に設けられた厳粛な非日常である。今までと同じであってはならない、よりよく生きるために自分にムチ打ち、自分の課題に向き合う姿勢を創ることにその意義がある。

 式辞でも安井息軒の「三計の教え」に触れたが、市長の祝辞にも触れられていた。「一日の計は朝にあり、一年の計は春にあり、一生の計は少壮の時にあり」

 今日何をするのか、今年何をするのか、自分の一生で何をするのか、面倒でも考えて自分の一歩を踏み出すこと、それが自分の人生を創ることだ。「一日一生」

 創立50周年の年を迎えた本学、新たな歴史の1ページを切り拓くうえで、「面倒だからしよう」という言葉を思い出させてくれた入学式だった。

(2015/04/14記)宗和太郎

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