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宗和太郎前学長ブログ2020

私の価値観を磨こう

 「今日のお昼、唐揚げ弁当にしない!」と誰かが言う。みんなが同じものを食べる必要はないのに、でも逆らうのは面倒だし。こんな経験は皆さんにありませんか?

 日本にはみんなと同じでないといけないという「同調圧力」が他の国々より強く、また学校時代は特に強く感じられ、そうしたことがいじめや差別の温床になりやすいと言われます。

 しかし日本でも、学校時代を終えて社会に出ると人それぞれです。同窓会などで集まると仕事や環境もそれぞれ違い、考えも色々であることを再発見するものです。学生時代も本当はそれぞれ違う考え方を持っていたのに、それを表面化できなかったのですね。

 自分の人生を導いていく価値観について考えてみませんか?

 価値観は食事のメニューから仕事や伴侶も決めることになる羅針盤です。それを磨いて、後悔の少ない人生にしたいものです。試しに下の表にあなたの優先順位(1〜9)を書き入れてみましょう。そして友達や年代の違う人にも聞いてみましょう。きっといい人生勉強なると思いますよ。

(2020/10/14記)宗和太郎

激動期を生きる

 入学式の式辞に、これからの時代は過去の延長上にはない、予測のつかない正解の見えない状況で生きる覚悟が求められると述べた。毎年の同じような趣旨を述べるが、今年はそれからの数ヶ月がまさにその事態であった。例年通りのことが許されず、新たな事態への対処が組織においても個人においても求められ、激動期とはまさにこういうことだと体感され、第2次大戦末期のことが思われた。

 閉塞感、落ち着くことのない新たな事態への対処、誰しもストレスを抱えながら遠隔授業へ挑み、対面授業を再開させてからは感染不安と隣り合わせの毎日だった。宮崎県内の感染状況をにらみながら遠隔授業と対面授業とを入れ替えている。様々な環境条件、技術の習熟等不備がある中での対処に保護者諸兄、学生諸君のご理解を頂戴できれば有り難い。

 この数ヶ月で明らかになったこともある。遠隔の授業はやむを得ず行う「次善の策」であったが、情報技術・機器が進歩・普及し、案外使えることである。ビジネスの世界においてもテレワークが世界的に一気に加速した。会社に集まり朝礼から始まる仕事の常識が覆されつつある。

 しかし教育面で言えば、遠隔教育は知識の獲得には有効でも、学生に帰属感、安心感、心理的開放感を得させることは難しい。一方、コロナが人々に与える閉塞感や不安感は攻撃衝動を誘発し、「自粛警察」なる正義感を振りかざした攻撃行動が出てきたりした。かつてのファシズムにもそうした側面があった。そこで大切になるのが、他者との対話的学びである。

 それぞれが「正しい」と思う考えをぶつけ合い、受け止めあえたとき、自分も他人も「正しい」と思っていることが分かる。そうすると更に、それぞれの不十分さを包み込むような深い理解を求めていくことになる。それが対話的な深い学びである。人間を深く複合的に理解し、自分の狭さを開いていく学びである。安定した正解が見つけられない激動期には、対話的で深い学びを学生たちに経験させたい。

 人の表に出る言動とその裏にある心はよくズレていること、物事には善悪両面あること。単純明快な分かりやすさには、影に切り捨てられたものがあること。だから世の中甘くない、だから人間は面白い。社会は面白い、人生は面白い。

(2020/10/12記)宗和太郎

コロナが教える人とのふれあいの温かさ

 コロナ禍によって今までの常識が覆され、新たな常識が誕生することもあるのかも知れない。対面が当たり前と思われていたことが、案外オンラインでできるという発見も思わぬ成果だろう。本学も遠隔授業に挑戦した。通信機器・環境の不十分な中で、教員も学生もまずまずの出発であった。知識や技能の学習には、こうしたコンテンツがいつでも引き出せるようになっていれば便利なはずだ。

 一方、オンラインでは難しいと思うのは、機微に届くコミュニケーションである。対人では言葉の背後にある、言葉と裏腹な気持ちも受け止めることが必要になる。今回のような見通しのつかない状況では、誰しもが不安やイライラを募らせているだろう。オンラインでもできないことはないのだろうが、思っていることを人に話して受け止められることで、安心の得られる有り難みが再認識される。

 人の行動の不易(変えられないこと)と流行(変えられること)を見極めなければならない。

(2020/07/08記)宗和太郎

本学の伝統 〜学生の安心と挑戦へ〜

 感染予防で新たな生活様式が求められる中、学校が再開した。会えば笑顔で輪になり語り合いたい。辛抱と言われるが、辛抱だけでは生活できない。明るく賢くストレスに対処していきたい。学生達のいないキャンパスは寒々しかった。学生達の声が、笑顔がキャンパスに火を灯した。

 学生のいない間、教職員は暇を潰していたわけではない。先の見通しが立たない中で行事の中止が続く。行事は2週間前には中止を連絡したい。中止すれば、それに代わる何かができないか模索が続く。

 卒業式中止の際は、せめてもの慰めに教職員でビデオレターやフォト575を作成することになった。入学式から続く臨時休校においては、オンラインでつながることを追求した。YouTubeに学長メッセージや校歌練習ビデオを上げ、そして遠隔授業に挑戦することにした。ノウハウの習得、機器の設置、研修会を重ね色々工夫して4月中には遠隔授業を開始できた。

 教育に何よりも大切なことは安心である。その上で挑戦が大切になってくる。予測の立たない不安定な中で、日々新たな対応に追われるのは、誰しも気の休まらないストレスである。本学の先生達は学生の安心と挑戦へ向けてやれることを模索し、共に挑戦してくれた。誇りにしたい。この精神は授業が対面に移っても受け継がれていく宮崎学園短大の伝統である。

(2020/06/23記)宗和太郎

礼節・勤労は古くさいか?

 高等教育機関は法律で7年に1回、国の認証を得た評価機関から第三者評価を受け、適格認定を受けなければならない。本学は今年、前年から自己点検・評価報告書を作成し全学的な検討を加えながら、10月に4人の評価員(他短大の教職員)による2日間の訪問調査を迎えた。

 その訪問調査で建学の精神についての質問があった。「昭和40年に短大は創立されているが、ちょうど経済成長期で女子の労働力が必要であったので勤労ということが建学の精神に掲げられたということでしょうか。」

 学長は次のように答えた。「本学の母体となっている宮崎学園が『礼節・勤労』を建学の精神として掲げているのであり、その出発は昭和14年初代理事長大坪資秀が宮崎女子商業学院、宮崎高等裁縫女学校を始めるにあたり、女子教育の理念として掲げたものです。」

 評価員リーダーは「その理念は今日も、公共性を持つと考えられますか。」と畳みかけられた。

 

 振り返ってみれば、昭和14年初代理事長が女子教育に乗り出された時は、戦争が始まり男子は兵隊に取られ労働力が不足し、女子も勤労婦人としての活躍が期待され、躾のできたよく働く女子を社会へ送り出したいというお気持ちであっただろうと推測される。戦後も男女平等が憲法で謳われる中、女子の積極的な社会進出を推し進める理念であったろう。

 しかし創立80年を迎える現在、その後の社会の変化、価値観の変化の中で古びていないのだろうか。宮崎学園はその後、平成6年に宮崎国際大学を開学し、平成16年には高校を男女共学化し、平成20年には短大も男女共学化した。女子教育の理念とされたものが、男女共学の理念として通用するのか、また国際化の時代にふさわしいものとして通用するものか。

 例えば前述の質問に学長は次のように答えた。

 「礼節は自他の人間性を尊重して自分を律することです。これは人間尊重の精神、人格の平等、人間の尊厳を重んじる精神に通じるものであり、時代を超えて文化を越えて、普遍的に通用する精神と言えます。そして勤労についても、人間の文化、生活すべてが人々の勤労の成果であり、それによって生育した成人が自己を高め社会人として人間社会に貢献していくことが勤労です。これも文化や社会を超えた普遍性を持つ精神です。」

 評価員のリーダーは、それでは建学の精神は教育基本法等に掲げられた公共性を持つと言えますね、と確認された。

 

 建学の精神を古くさいと思わせているものがあるとしたら、それは何であろう。

ダーウインは次のように述べたという。「最も強い者が生き残るのではなく、 最も賢い者が生き延びるのでもない。 唯一生き残るのは、変化できる者である。」

 理念を現在の状況に合わせて解釈する(変化させる)努力を怠れば、理念は生命を失い死する運命になる。伝統を受け継ぎながら創造する努力が、夢を未来につなぐことになるのである。建学の精神は私学の存立の基盤である。思いを受け継ぎ生かしたい。私は建学の精神を今日誇りに思える素晴らしい精神だと思っている。

(2020/06/10記)宗和太郎

「小さな成功」への大人の配慮

■社会に踏み出せない

 高校時代、先生からよく言われた、「継続は力」だと。皆さんはどうでしょう?

 恥ずかしながら私は3日坊主で長続きしたためしがない。よく言えば「好奇心旺盛」だが、「飽きっぽい」からだ。「飽きっぽい」のはなぜか。頑張っても結果が出ないと、すぐやる気を無くしてしまう。そしてつくづく私は素質もないし根性も無いと思う。

 今、「引きこもり」が増えている。半年以上自宅に引きこもる人が15歳から39歳で54万人。引きこもりは若い人のことと思いがちだが、昨年の調査で40歳から64歳でも61万人いることが分かった。合わせて100万人を超える「引きこもり」である。

 昔と比べて、大人も子どもも体験空間が薄っぺらになった。となり近所との人づきあいや親戚づきあい、兄弟姉妹づきあい。人の中で揉まれる経験が少なくなり、人づきあい、コミュニケーションに自信が持てず、社会的自立が難しくなっているのではないか。

 一方、肥大化したのはネット空間で過ごす時間である。リアルな社会生活には恐怖すら感じる人がいても不思議ではない。こういう私も40年前、学生時代に自分は社会人にはなれないと思い、就職を延ばして大学院へ進んだ。

 今の学生達にとって、社会的自立という課題はもっと大きな壁であろう。1年次、保育園や幼稚園へ1日体験実習に行って、「自分は向いていない」と心折れる学生がいる。3日坊主ならぬ1日坊主である。

 

■「小さな成功」体験の必要性

 努力が足りない、我慢が足りないと説教したくなる。しかし努力も我慢も、自信があればこそできる。「私には素質も根性もない」「何をやってもダメだ」という負のスパイラルに陥っている時、脱出の鍵は何か?

 必要なのは「小さな成功」である。できないと思っていたことができたという体験である。大きな成功ができれば、それに越したことはないが、大きな成功を目指すから失敗の負の意スパイラルに入る。

 人間を見つめるのに「鳥の目」と「蟻の目」がいる。俯瞰して高いところから人間の成長を理解することと、ぐっと心に近寄って小さな一歩を踏み出す勇気を理解する「複眼的思考」である。「千里の道も一歩から始まる」。小さな挑戦が小さな成功となり、それが小さな自信となり、次の挑戦への勇気を生み、努力や我慢も育てる。そのために必要なのが、本人がやってみたいと思い、やればできそうな課題に出会うことである。それが大人の配慮である。

 社会的自立は教育の最重要課題である。大人になってしまうと忘れているが、誰にも「小さな成功」体験があり、そこにはきっと周りからの温かい心遣いがあったはずだ。心折れやすい今の若者に「小さな成功」を体験させてやりたい。

(2020/03/27記)宗和太郎

コロナの時の卒業生

 新型コロナウイルスの感染拡大を防止するため、本学も社会の一員として協力しようと卒業式・修了式の中止を決断しました。学生生活最後のお別れができなくなったことは大変残念ですが、本学の建学の精神「礼節・勤労」はどちらも自分本位で考えるのでなく、他人や社会のことを考えて行動することです。学生生活の最後をそのことを考えて閉じるのも意義深いことかなと考えています。

 母校はいつまでも忍ヶ丘に立ち尽くします。明教庵の大楠はいつでも皆さんを優しく包み込んでくれるでしょう(明治の昔から子ども達を優しく見守ってきました)。自分の足跡をたどりたくなったとき、遠慮せずにいつでも母校にお立ち寄りください。「あのコロナの時の卒業生です」と。待っています。

 

学長 宗和 太郎

(2020/03/19記)宗和太郎

聞き上手こそ、人づきあい上手

 「コミ障」という言葉が自虐的に、あるいは他虐的に使われる。コミュニケーション障害の略である。他人とのコミュニケーションに苦手感を持っている人は多い。ネット空間で暮らす時間が増えているのに対し、リアルなコミュニケーションの体験が、一昔前と比べると恐ろしく貧弱になっている。同世代とのコミュニケーションでも、小さな仲間に巣ごもりしがちである。だから異世代とのコミュニケーションになれば、なおさらハードルは高く感じる。しかし社会へ出て行くということは、あらゆる人とコミュニケーションをとることを意味する。

 他人に話しかけるのが苦手と言う人は多い。話し下手だから、人づきあいは苦手と尻込みしている。しかしよく考えて欲しい、話し上手な人が人づきあい上手だろうか。あなたは自分の意見をどんどん押しつけてくる人を好きになれるだろうか。誰でもそんな人を好きにはなれない。好きになれるのは、自分に関心を持ってくれて自分の気持ちを理解してくれる人だ。

 人間関係は受容から始まる。相手に関心を持ち、気遣い、気持ちを汲むことから人間関係はできていく。相手は自分が受容されていると感じれば、あなたに心を開いていく。コミュニケーションが始まるのだ。人づきあい上手は話し上手な人ではなく、聞き上手な人なのだ。聞き上手を目指して欲しい。

 「売り言葉に買い言葉」はケンカの原理である。コミュニケーションにはならない。自分の言いたいことを先に主張すると、ケンカになる恐れがある。しかし相手の気持ちを聞くだけでは、コミュニケーションにならないと思うかもしれない。ところが先に相手の言いたいことをしっかり受容してあげると、相手には安心が生まれ、こちらの考えもけんか腰にならずに聞く余裕が生まれる。だから、相手の言いたいことをしっかり受け止めてから、自分の言いたいことを言うとケンカにならないコミュニケーションが生まれる。聞き上手は人づきあい上手になれるのである。

(2020/02/16記)宗和太郎

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