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宗和太郎前学長ブログ2018

結論は言うべからず、気づかせるべし。

 教育とは「正しいことを教え、実行させること」だと考える<素人考え>の人がいる。大人が正しいことを教えて、子どもが実行してくれるなら、教育はかなり簡単な仕事になる。「喧嘩はしてはいけない」「意地悪はしてはいけない」と教えることで、世の中の大半のトラブルは解決しそうである。問題は次のようなことにある。

 子どもが勉強しようとしていた所に、親から「勉強しなさい」と言われると、途端にやる気が失せる。

 子どもが親を手伝おうと思っていた所に、親から「お手伝いしたら」と言われると、途端にやる気を無くす。

 親は思う。「私、何か間違ったこと言ってる?」

 親は正しいことを教えているし、子ども自身もそうしようと思っていた「正しい結論」であるにもかかわらず、「正しい結論」を他人から言われた途端、やりたくなくなっている。

 正しい結論にも、2種類ある。1つは<好きなやりたくなる>正しい結論、もう1つが<嫌いなやりたくない>正しい結論である。同じ結論でも、自分が見つけると<好き>になるが、人から言われるとムカつき<嫌い>になる。

  子どもに勉強させたいときに「勉強しなさい」と言えば、やる気を無くす。ではどうしたら良いのか?

 「どうしたいの?」「どうなりたいの?」「どうなると思う?」と考えさせ、相手に正しい結論を言わせるのである。(あっ、もしかして私「結論」を言ってる!?)

 事ほどさように、結論を押しつけがちな私達である。気づかせる一手間が、教育の一手間である。一手間加えて、「正しい結論」を実行できる人に育てたい。

 「10年後、どんな人になっているかな?」

 「何に困ると思う?」

 結論は気づかせるべし。

 ただし、人から言われる「正しい結論」を受け入れられる謙虚さも育てなければならない。

(2018/10/17記)宗和太郎

切り上げる力を身に付けよう

 若さの特権はそのエネルギーにある。そのエネルギーがひとたび「はまる」モノを見つけると大きな飛躍を生み出す。人によって「はまる」モノは様々である。スポーツ、読書、仕事、恋人。天才とははまり方が尋常でなく、しかも大きな成果を出せた人であろう。

  若さの危険も「はまりやすさ」である。耽溺しやすい。妄想、思い込み、ネット、ゲーム、ギャンブル、アルコール・たばこ・ドラッグ、性、反社会的行動等々。

  継続は力であるが、途中で様々な好奇心がエネルギーの浪費に誘う。耽溺に陥りそうになったとき、それに気づき、切り上げる力が必要である。若いときに是非身に付けたい。

(2018/08/30記)宗和太郎

誇りの持てる人生はどうしたら生まれるか

 「禍福はあざなえる縄のごとし」わざわいと幸せは交互にやって来ると言います。皆さんのこれまでの人生は禍福どちらが多かったでしょうか。起こったことを無くすことはできませんが、未来をどう描くかはあなたの自由です。

 アウシュビッツの強制収容所の話です。過酷な労働と死を待つだけの絶望的な状況でも人間最後の自由を奪われず、他人に優しい言葉をかけ、最後のパンの一片を与えた人達がいました。フランクル『夜と霧』の中で描かれた「人生に何も期待できない」状況でも「人生は我々に何を期待しているか」を考えて生きた人たちです。彼らは自分を知る人達に、自分が哀れに苦しみ死ぬのでなく、誇らしげに苦しみ死ぬことを知ってほしかったと言います。

 苦しみの中で誇りある人生とは何でしょうか。

 誘惑に弱い人間だからこそ、人生からの呼びかけに応え、誘惑に打ち克つ姿を誇りに思えるのです。皆さんは何を自分の人生の使命にしていこうと考えていますか。この忍ヶ丘で友と師と語りませんか。

 自分はこれといった才能や器量に恵まれていない。積極的に社会に出て行く自信もなく、自分の人生にどんな意味があるだろうと悲観している人もいます。

 人生の意味は棚ぼた式に降ってくるものでありません。『夜と霧』を書いたフランクルはあなたがどんな人生にしたいか、人生から問いかけられているのだと説きます。

あなたを必要としている人がこの世の中にはいます。あなたが来てくれるのを待っている人がいます。誰でしょう?あなたはそこで何ができるでしょう?そこにあなたの人生の意味が生まれます。生きがいが生まれます。

誇りの持てる人生を

 自分の都合や利益ばかり考えている人は、人のために役立つという私達人間の使命を考えなくなります。命を閉じるとき自分に満足できるでしょうか。

 自分の都合や利益の誘惑に打ち克ち、在るべき姿に努力を重ねることが、人生を気高く誇りあるものにします。苦労の中でも自分を見失わない誇りになります。それが人間の魂を育てることです。

(2018/08/28記)宗和太郎

日本の日なたで太陽になる

宮崎で生まれ育った人にはピンと来ないのかもしれません。宮崎は素敵なところです。

①自然環境豊かで、快適
 私は毎日、大淀河畔を自転車で通います。冬の鴨の群れ、春の桜、夏の入道雲とトンボ、秋の夕日と霧島山、四季の自然を堪能できるのは、都会からすれば贅沢なこと。「日本のひなた宮崎県」です。レジャーだって、山も海も1時間かかりません。

②地元を元気にしよう!就職率100%
「田舎には仕事がない?」
  本学の求人倍率3倍。地元は人手不足です。県の人口は現在113万、でも50年後は60万人になるそうです。この地元を支えるのはつまらないことでしょうか?地元で人々を明るく、温かにする太陽になりましょう!やりがいのある仕事が待っています。

③コスト・パフォーマンス抜群
 1DKのアパートの家賃、東京では8.4万円、宮崎では3.7万円だそうです。 ちなみに本学の女子寮、市内にありますが3.7万円で朝夕2食付き、本学への送迎バスもついています。
 宮崎の物価は全国一安いそうです。月々子どもの教育にかかる費用は、東京1.9万円、宮崎0.9万円だそうです。新鮮でおいしい食べ物もあります。

  「宮崎学園短大で学び、地元で働く」この選択肢、自信を持って勧めます。

  物価については、宮崎県発行『日なたのチカラ』参照。

(2018/07/02記)宗和太郎

与えたモノが返ってくる 〜返報性の原理〜

 「売り言葉に買い言葉」で親子の喧嘩がまた始まる。お互いに嫌な気持ちになることが分かっているのに、つい始めてしまう。 

 相手が攻撃モードであることを察知すると、こちらも防戦のために戦闘モードに入る。しかし逆に、相手に理解モードで迎えられると、こちらも戦闘モードを解き、理解モードに入るのである。

 聞いた話だが、あるとき高速道路で急いでいて、制限速度をオーバーしていた。すると、突然後からパトカーが追いかけて来て、路側帯への停車を命じられた。近寄ってきたお巡りさんがなんと言ったか。ニコニコしながら「急いでいましたね」。思わず「はい」。「10㌔オーバーでしたよ」思わず「はい」。いつの間にか戦闘モードが外されているではないか。

  受け身は大切である。相手が「売り言葉」できたとき、買ってはいけない。受け止めるのである。「お母さん、心配させてごめんね」「○○さん、そんな気持ちだったのね」。相手を受容していることが相手に分かると、相手も受容モードに入りやすくなる。

  返報性の原理。相手を愛すれば、相手からも優しさが返ってくるようになる。相手を「嫌な子」と思えば、相手からも憎しみが返ってくる。

 人々に貢献すれば、人々からお返しが返ってくるようになる。功徳と言う。

(2018/06/22記)宗和太郎

私が20歳の時、知っておきたかったこと「失敗を隠すより、失敗から学べ。」

失敗を隠す文化

 「失敗があってはならない」という言葉は、大きな行事に際して、あるいは人生の大きな選択において使われる。沢山の人に迷惑をかけないよう、あるいは自分の将来に大きな禍根を残さないために、念には念を入れて準備するということだろう。

  もちろんそれは正しいことだが、もとより完璧でない人間にとって完全はあり得ない。別の言い方をすれば、失敗は避けられないことである。失敗しないように努力することは大切だが、同じく、いやそれ以上に失敗に正しく対処することが大切である。「失敗しないように」の価値観が偏重されると、失敗は隠されてしまい、失敗から学んで成長することの大切さが見失われてしまうからだ。

 学んで成長するという点において、成功も失敗も教訓としては等価値である。「こうすればうまくいく」「こうしたら失敗する」どちらも大切な教訓なのである。

 しかし我々の文化の中には、失敗を恥とし、失敗を隠して学ぶことがなおざりにされる傾向があるように思う。失敗を隠しても、失敗の度に「うまくいかなかった自分の歴史」は積み重ねられていく。悪運を嘆き、非才を嘆き、劣等感が蓄積される一方、失敗から学ばない自分は止まっている。

リセットのチャンス

 我々の文化には有り難いことに、「リセット」の思想がある。毎年、新年を新たな気持ちで迎え、新たな志を立てる。いつまでも過去を引きずらずに、リセットできるのは有り難いと思う。

 善人になりたいと思っても、過去の自分の悪行の数々を思い浮かべたら、無理と思うしかない。悔い改めることで、進歩は生まれる。

 安井息軒は、志を立てるチャンスとして「三計の教え」に朝と春と少壮の時を挙げた。チャンスに遅すぎるということはない。何か良いことを始めようとするのに年や月、週の初めなどの節目はリセットのチャンスである。

 あとは本人のやる気・勇気・根気である。

「どうせダメ」のリセット

 やる気を出す上で、足を引っ張るのが自分の「劣等感」である。「自分は頭が悪い」「才能が無い」「努力ができない」「環境が悪い」という「決めつけ」を抱えている。

 なかなか人は褒めてくれないし、自分の失敗は傷となって残っていたりする。人生で、自分に自信をもたらす成功事例より、自分のダメさ加減を示す失敗事例の方が遙かに多く心に刻まれている。「何にもしない方がまし」という思い込みも少なくないかもしれない。

 本当は「ある程度できて」いても、「よりできる人」が必ずいるから、相対評価の中ではいつも「できない」に分類されてしまったのである。

 絶対評価で見てごらん。赤ちゃんの時から比べて今「できるもの」を挙げれば限りなく多いはずである。生活の中にある様々な経験からなにがしかの学びを受け取り、成長している。一昨年から去年、少し長いスパンで見れば自分の成長に気づくはずである。人生は長い。努力は裏切らない。一歩踏み出す「やる気」を出そう。結果は付いてくる。

やる気・勇気・根気

 三日坊主はどこから来るか。毎年、新年の抱負を立てたはずなのに長続きしたことがないと自慢のように言う人がいる。夏休みの宿題、毎年早くやってしまおうと思ったのに仕上ったためしがない。しまいには目標を立てることすらしなくなる。

 根本は、三日坊主の失敗にメスが入れられていないからである。やる気のなさに逃げてしまい、失敗から、「やる気の出る目標」「続けられる計画」の反省につなげられなかった失敗である。つまりは面倒くさがりで、やる気はあっても、勇気、根気が足りない。

 失敗一つ一つには、学ぶべきことが必ず一つ一つある。その学びが成長である。失敗一つ一つから学ぶことを忘れて、成功が宝くじのようにやってくることを夢想しても、未来は開けない。発明王エジソンは99回の失敗の次に成功を勝ち取った。それは幸運の確率では無く、99の失敗からの学びに支えられて成功が生まれたことを物語っている。

 失敗から学ぶことは、惨めでささやかかもしれないが、その蓄積の上にしか人間の成長はない。根気が大切である。

(2018/03/27記)宗和太郎

自信はなくていい、でも情熱を傾けられるモノを見つけよう!

 今年も2年生の多くが成人式を迎えた。盛装して写真を撮り合う姿は昔も今も変わらない。あの頃の私は何を考えていただろう。今の自分があの頃の私に何を言ってあげられるかを考えた。

  同世代の中で生きていると、横並び意識が強くなる。実社会では多様な人々が存在し、様々な差が前提である。同世代どうしでずっと生活していると、小さな差が気になる。世間から見れば小さな差を見て、若い頃は自分を意識し、他人を意識し、もやもやした感情の葛藤にさいなまれた。

 他人の良い所を見ると、対照的に自分のダメな所が見えてしまう。自分のダメさ加減に打ちのめされて、劣等感、そして嫉妬心がもたげてくる。そしてボロボロのプライドが、なんとか自分をよく見せられないかを夢想する。

 ファッション、髪型、化粧、流行を追いかけ個性を演出し、負けてないフリをする。一人前のフリをしてみても、内面はボロボロのままだ。自信の持てるモノはない。見せかけを作りたい気持ちも分かるが、大切なのは自分の自信を育てることだ。

 羨ましく思えるあの人も、多分みんな同じだ。自分に自信を持てず、負けてないフリするのに精一杯。みんな、ほぼ同じスタートラインに立っている。自信は天から与えられるモノではない。自分で努力して、手に入れるモノだ。

 最初からうまくいく人はいない。うまくいかなくても、めげずに前進することが上達につながり、自信につながる。

 青年よ、大志なんか抱かなくて良い。何か上達を目指すモノを見つけよう。今からがスタートなのだ。情熱が傾けられるモノ。それを見つけ、自分の「尖り」にしよう。他人の目ばかりを気にして、悔いの残る人生にしないように。人生最後の日がいつ来るかは誰にも分からない。

 人生の先輩に尋ねてみよう。「若い頃、熱心になさったのは何でしたか?」 私は何だったか?あの頃は語学だったか。社会改革への情熱だったか。いろいろ追っかけながら、それが今の自分を作ってきている。

(2018/03/16記)宗和太郎

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