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宗和太郎前学長ブログ2022

教えると学ばない

 私も含めてであるが、大人は教えるのが好きだ。知らない人に教えてあげれば、ありがたがられる気がする。

 小さな親切、余計なお世話なのだ。教えられて学ぶことは案外少ない。昭和の常識では教えることが教育であったし、学生にとっては授業に出ることが勉強することだった。そこで本当に学びが起こっているかは真剣に問われなかった。

 21世紀の保育・幼児教育は子ども主体の保育と言われ、保育者が子どもに何かを教えるのではなく、子どもがしたいことを追求させる中で様々な学びが起こることを大切にする。教える≠学ぶ、学ぶ=主体の成長という認識が、世界の学校教育・幼児教育を大転換させている。

 自分がやりたいこと・知りたいことは、わくわくドキドキの挑戦になり、うまくいってもいかなくても学びとなり、次の挑戦へつながるテーマを追う力強い学びになる。そこでは、粘り強さや感情の調整力や他者への共感性や協調性などの「非認知的能力」が育つのである。今、知識と並んで非認知的能力を育て、生涯にわたる主体としての成長を期待するのである。

 教えたくなったら、「どうしたらいいと思う?」「なにをやってみたい?」と気づかせる質問に変えて、自分で羽ばたくエンジンを育てよう。

(2022/10/01記)宗和太郎

やってみたいこと・知りたいことに挑戦しよう!

 今まで皆さんは、自分が本当にしてみたいことに挑戦してきたでしょうか?

 人に言われてすることでも勉強になることはありますが、やはり自分がやってみたいこと・知りたいことに挑戦すると、比較にならないほど自分に成長をもたらします。それも知識だけでない全人的成長です。

 人に言われてすることは、義務を果たしたら終わり、それ以上に後を引きません。

 自分発のことは、やってみて分かったことを糸口にテーマが展開していきます。「もっとこんなことが知りたい」「もっとこんなことをやってみたい」です。

 そして、うまくいくこともあれば、うまくいかないことにも出会うでしょう。それら全てが学びで、自分を成長させるのです。自分発のことは、できなければ悔しく、うまくいけば調子に乗ります。わくわくドキドキする探究、私たちの人生の1ページがそこに展開しています。そうした中で身になる知識が付くだけでなく、粘り強さや感情のコントロール、対人関係力、自分を反省する力など、生きていく上で大切な非認知的能力が育ちます。

 今まで挑戦を頑張ってきた人も、余り挑戦をしてこなかった人も、本学で仲間から刺激をもらいながら、挑戦して自分に自信をつけていきませんか。

(2022/09/28記)宗和太郎

過去の常識を改める

未知への適応

 「先が見えない」「落ち着くことのない」「急激で」「複雑な」変化の未来。

 コロナ禍はまさにこれからの未来を暗示する前哨戦のようだ。あっという間の事態に世界中の人々が右往左往している。

 人は、訳の分からない事態が苦手である。過去の経験や馴染みやすい説明にすがりやすい。「私はインフルエンザに罹ったことがないから大丈夫だ」と根拠のない自信を示した人もいれば、「夏になればインフルエンザと同じで収まる」と言った人もいた。

災いなる成功体験

 『失敗の本質』という日本軍の敗北を研究している本がある。帝国陸軍は西南、日清、日露の戦争の勝利から白兵銃剣主義を信奉し、帝国海軍は日本海海戦での勝利から艦隊決戦主義を信奉し、新たな事態への対応ができなかった。

 成功体験は善くも悪くも将来に影響を与える。自信は困難への挑戦に不可欠であるが、状況を見誤る元にもなる。人生をそれなりに生きてきた大人は、時に過去の常識を捨てなければならないことがある。Unlearning(学習棄却)と呼ばれる。今、捨て去らねばならない過去の常識とは何か?

叩かれて育つ

 昭和の時代、軍隊のみならず家庭や学校においても、痛い思いをさせて覚えさせることが頻繁にあった。確かにげんこつを加えれば、相手は言うことを聞くようになる。しかしそれは、強い者の言いなりになっているだけである。自分で何が良いかを考えさせていない。正解が見えない中で、強い者の言うとおりにさせるのではなく、子どもに考えさせ人と対話できる力をつけさせることが大切である。

 一方的に叩かれ虐げられた痛みは負の連鎖を生み、誰かへの差別や虐待、DVにつながっていく。叩いた人も含めて人々が安心し共生できる社会を作ることにはならない。

学歴は地頭、学歴が人生を作る

 昭和の時代においては、学力(認知能力)が社会の成長を牽引できると思われた。しかし先が見えない時代にあっては、過去の知識や技能だけでは対処できない。現実の問題を人々と協力して解決していける力が必要となる。それは学力とは異なる非認知能力と呼ばれる様々な力である。誠実さ、粘り強さ、自己統制力、共感力、自尊感情、打たれ強さ等々が挙げられる。これらは詰め込み学習では得られない。

 今世界中が先を争って、非認知能力を育む幼児教育・保育を追い求め、大学教育にも質の転換を促している。大学入試が改まるのも、それで小中高の教育も変えるためだ。

過ちて改めず、是を過ちと謂う(論語)

大人のみならず若者も少ない人生経験で思い込み、決めつけにはまっていることがある。思い込みを開くのは、読書も含めて人との対話だと思う。

(2022/03/09記)宗和太郎

2030年の幸せって何だろう?

未来が始まる

 私たちは第2次大戦後経済的に発展し、工業社会が生まれ、サービス社会が生まれ、いまSociety5.0が生まれようとしている。イギリスの学者は、今の子どもの65%が、今はない仕事に就くと予測する。過去から現在への延長線上にはない社会が生まれてくるということだ。これからの変化はめまぐるしく、不確かで、複雑で曖昧といわれる。

昭和の幸せ

 昭和の時代に育った私は、洗濯機、炊飯器、カラーテレビ、クーラーと家に電化製品が来ることが、幸せの階段を上ることのように思われた。新製品を持つことが自慢であったし、持っている人がうらやましく思われた。今思えば、広告にメディアに消費の欲望を刺激され、他人との競争に駆り立てられていたのだ。競争で優位に立つには、成績が良く、学歴が重要とされた。そこにあるのは、自分本位の、人と比べて優位に立つのが幸せとする考え方である。

優越感・劣等感

 優越感があれば、劣等感がある。劣等感のある者は、優越感が持てるものを探す。そこに様々な差別や支配、暴力が生まれる背景があるとしたら、お互いが傷つけ合う社会である。結局、誰もが傷つき幸せになれない社会を目指していたのではないか。身分、職業、人種・民族・宗教・文化、性、ジェンダー、LGBT、障害者、病人、家族状況、収入、能力など、何か中央値から離れている人は差別攻撃の対象にできる。何でも中央値にいる人などいないだろう。

No one will be left behind.

 誰一人置き去りにしない。2030年に向けたSDGsの基本思想である。自分一人が幸せであろうとしても、幸せではいられない。それぞれ誰しもが幸せ(well-being)でいられる社会を目指して、考えを、行動を改めていきたい。言うは易く行うは難しである。

 全ての人が互いの自由を尊重し、尊厳・多様性を尊重し、思いやりを持ち、互いのwell-beingに貢献していきたい。

(2022/03/08記)宗和太郎

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