発行物・報道資料

  1. HOME
  2. 発行物・報道資料
  3. 宗和太郎前学長ブログ2016

宗和太郎前学長ブログ2016

中庭が完成した

 工事で立ち入りが禁止されていた、新校舎と本館を隔てる中庭が今日から開放された。3年前から続いた様々な工事が今日完成を迎えたのである。折しも朝から空気は澄み切り、青空に日が差し、中庭から見上げる新校舎には後光が差している。霧島山も見渡せる。朝来た学生たちは、中庭をどう突っ切り校舎に向かうか、どう教室に入るのかルート開拓をしている。スマホで記念写真撮影するグループもいる。

 新校舎は4月から使用していたが、本館の耐震工事が済み、外側を覆っていた足場が外れ、記念館のお色直しが終わり、中庭の外構工事が終わり、ロッカー室も完成した。新キャンパスの全貌が今日姿を現したのである。中庭から眺める風景は美しい。それぞれがお気に入りの隅っこを見つけることだろう。

 学生たちの顔が晴れ晴れしている。いよいよ本格的に本学は新時代に突入する。

(2016/12/16記)宗和太郎

ステップを踏めば、咲かせられる花がある

 人生の折り返し地点を過ぎて20年になる。上り坂から下り坂に変わり、できていたことができなくなる。ジョギングをして膝を痛め、「老化です。無理をしてはダメです」と医者から言われた。今年の夏から秋にかけて、無理をしたつもりはなかったが2回も肺炎を患った。そしてこの秋、2回も10日ほどの入院生活を送った。

 人が働いているときに、ベッドでごろごろしているのも申し訳がない。人間万事塞翁が馬、長編小説に挑戦してみようと思った。長編小説は私にとって、フルマラソンのイメージだ。どちらも未経験で、それなりの心づもりや体力(?)がなければ達成できない所が共通しているように思う。走る方は、散歩→早歩き→ジョギング→2キロとステップアップした所で、ドクターストップがかかった。

 新聞に夏休みの推薦図書として「読み始めて会社を休む羽目になった人がいる」と紹介されていた「大地」(パールバック、全4冊)を読み始めていた。すぐ挫折する気がして第1巻しか買っていなかったが、第2巻も買い求めて入院生活に入った。時間はあるし、中国農民の3代にわたる欲望と失敗の物語は飽きさせず、2日間読み続けた。そして残りの2冊を迷うことなく買い求め、読み終えた。沢山の気づきとともに読む体力が付いてきたのを感じる。次への挑戦意欲がわく。

 2回目の入院では、大作「カラマーゾフの兄弟」(ドストエフスキー、全5冊)に挑んだ。かなり難航した。人名が馴染めないのに加えて、壮大なテーマについて登場人物がやたら議論する。退院後まで引きずり、やっと読み終えた。沢山の発見がどっしりした充実感をもたらす。フルマラソンの達成感を想像する。

 高校生の時、クラスメイトが「カラマーゾフの兄弟」の話しをしていたのを思い出す。こんな難しく、体力、集中力の要る本を、彼等は本当に読んでいたのだろうかと訝る気持ちも起こるが、自分の今、ここでの達成感に満足する。

 大願成就に必要なのはステップだと思う。やる気がなければそもそも始まらないが、挑むステップが「やってみたい・やればできそう」でなければ、続かない。そして努力が実を結べば、次の挑戦へ向かいたくなる。

 遅咲きに挑戦しよう。ステップを踏めば、咲かせられる花がある。

(2016/11/09記)宗和太郎

発見の楽しさに目覚めた個性が輝く教室を

学生たちを待ち受けるもの

 人口減少、少子高齢化のなかで地方を支えていく若者には、従来と比較にならない多くの役割が期待される。技術とアイデアを活かした生産性の向上、人々の協力による課題の解決、そして貧困に押しつぶされない家庭づくり。そんな人生を乗り切る力をつけさせることが学校に問われている。薄っぺらな知識や情報はいくらでもネットで仕入れることができる。吹き荒れる情報に惑わされることなく、本質を考え、課題を考え、解決するアイデアを思考し、判断し、行動していく力を付けさせることが求められる。哲学から最先端の科学技術、社会理論、人間研究、思考法、コミュニケーションスキル、学ばなければならないことは山とある。

 県外に進学するのでなく、地元の本学に入学してくる学生は、経済的に余裕のない学生が多い。6割の学生が日本学生支援機構の奨学金を受給している。また学生の7割がアルバイトをしており、しかも週16時間以上働く学生が2割おり、年々アルバイトの長時間化が進んでいる。それに対応するかのように、自宅学習をしない学生は6割、読書をしない学生は8割に近づく。この学生達が地元を支える中核的人材として期待されるのである。就職して、同じ所に一生勤める者は少ない。様々な人生のドラマが待っている。結婚する3組に1組は離婚するという。宮崎県はワースト4位である。シングルマザーで稼ぎながら子育てを頑張ることになる者たちも少なくないだろう。学生自身の人生にも様々なリスク、課題が待ち受けている。

 こうした学生達を底支えできる教育を提供したい。

受動的学習から能動的学習へ

 学習を「授業に出席して、講義を聴くこと、そして試験の時に講義内容を暗記して合格点をとること」だと考えている学生が少なくないように思う。一夜漬けで覚えた知識は、一ヶ月後にはどこかに吹き飛んでしまうニセモノの知識である。ホンモノの知識とは本人のものの見方に組み込まれた知識であり、組み込まれるためには、本人のこれまでのものの見方が訂正される「発見」「気づき」がなければならない。

 「発見」「気づき」は学生が受身で講義を聴いているだけでは生まれない。教師が授業内容に関して学生が分かっていない所を予想し、事例をあげ、発問し、考えさせ、気づかせる必要がある。「発見」「気づき」のある能動的学習は面白い。自分のものの見方が成長するのを実感できるからだ。学んだことは、自分の血となり肉となる知識であり、思考力となる。

 学ぶとは覚えることでなく、「発見」「気づき」を得ることであり、自分の成長を実感できる楽しいものであることを授業の中で体感させたい。

他律的学習から自律的学習へ

 「発見」「気づき」の面白さを知った学生は、自分の「発見」「気づき」を教室で発表するようになる。それを教師学生が共に楽しむようにすれば、追究は教室内にとどまらず、教室外での自分の「発見」「気づき」を披露し合うようになるだろう。学びの共同体が生まれる。他律的能動学習から自律的能動学習への道が開けてくる。

 目指す所は、生涯にわたって自律的・能動的学習者として成長し、様々なリスクを乗り越え、課題を解決し、他に貢献していく生き方ができることである。それが本学教育の使命であると思う。

 自分のことを述べれば、私は毎回授業の冒頭で、前時の授業テーマについて1分間自分の言葉で隣の学生に説明させている。軌道に乗るまで数週間かかったが、受講姿勢を受身から能動へ転換させる上で効果があったように思う。同時に質問をミニッツ・ペーパーの裏に書くように求めた所、回を追う毎に授業内容に対する応用的質問が爆発するようになった。授業外学習も「小さな芽」は見られる。自分の身になるホンモノの学習を追う学生が、発見の楽しさに目覚め、様々な個性を輝かせる教室を実現したい。

(2016/10/06記)宗和太郎

発見が勉強

 勉強を「覚えること」と考えている人は多い。先生の講義をしっかり聴いて、記憶に入れる。しかし忘れていくから、試験の前もう一度頭に叩き込んで答案に吐き出す。一夜漬けの記憶というのは、いつまで持つのだろうか? 1週間か、一ヶ月か。しかし所詮忘れられるのであれば、学んだことにはならない。

 学ぶとは、理解して身に付けることである。自分のものの見方として取り入れることである。言い換えれば、自分のこれまでのものの見方を訂正する「発見」「気づき」をすることである。

 授業の中で、人との会話の中で、本を読む中で、どれだけ「発見」があるか。「発見」がなければ、学んだことにはならない。「発見」を求めて、授業に、会話に、読書に向かいたい。

  こんなことがある。

  こんな訳がある。

  こうすればうまくいく。

  こんな考え方もできる。

 これらが「発見」である。発見は楽しい。自分のものの見方が広がって、成長した実感がある。これが学習なのだ。

 

 発見を求めて、毎日の生活を送ろう。そして発見したことを家族や友人に話してみよう。毎日が楽しく充実してきそうだ。1週間でいくつの発見や気づきを得たか。それが自分の成長のバロメーターである。

 夏から「一日一善」を唱えている。自分に良いこと、他人に良いことを一日に1つ以上実践することを目指す。自分に良いことは何か、他人に良いことは何か、実践しようと思えば、考えなくてはならない。色々な気づき、発見があるはずだ。

 発見ノートを作って見たらどうか。意外だったこと、驚いたこと、納得したこと、そうした出会いを言葉にして書き留めると、整理され、自分に定着しやすい。そして人への説明もしやすくなる。

 

 難しく考えず、発見のある生活を楽しみたい。そして自分を成長させていきたい。

(2016/10/05記)宗和太郎

颯爽と自律へ 〜自分で学び、考え、行動する〜

 後期がスタートしました。夏休みの間に工事も随分すすみ、事務室や研究室も本来の場所へ移ってきました。後は本館外壁や庭の工事で、年内には完成予定です。いよいよ宮﨑学園短大も、本格的に新しい時代が始まります。皆さんの準備はいかがでしょうか。

本学で学ぶ誇り

 私たち教職員は、学生の皆さんにとって本学で学ぶ2年ないし1年間が、これからの人生に大きな意義を持つように願って、さまざまな努力や工夫をしています。授業ではこれからの人生で役立つ知識やスキル、社会で活躍できる資格や免許を身に付け、学生生活では、皆さんの人生を豊かにする様々な出会い、発見、気づきが生まれて欲しいと願っています。

 人それぞれ、さまざまな出会い、発見、気づきが生まれると思いますが、私立学校には建学の精神という特色があります。本学園では「礼節・勤労」という2つの言葉にそれが込められています。他では学べない、宮﨑学園短期大学へ行ったからこそ礼節・勤労の価値に気づけて良かった、と本学に学んだことを誇りに思えるようになって戴けたら、それ以上に嬉しいことはありません。「礼節・勤労」がなぜ大切なのか、そのために日々何を心がけ、努力したらいいのかを考えてみたいと思います。

「礼節」

 誰でも自分が粗末に扱われれば悲しくなります。寂しくなります。私たち一人ひとりは大切な人格です。みんな愛されて大切に育てられてきた命です。それはどの人も同じです。だから私たちは、他の人も立場や考えは人それぞれ違うけれど、自分と同じく大切しなければなりません。そのことで互いに悲しい、寂しい想いをせずに元気を出して暮らしていけるのです。他人を気遣い、相手を大切していることを表現するのが「礼節」です。礼儀を守り、節度をわきまえること。他人に配慮し、我が儘を通そうとしない事です。礼節を欠けば、人間関係はいつもイライラし、絶えず衝突やストレスが生じることになります。社会に入っていく上で大切な心構えですし、これに欠ける人は社会から嫌われ、はじき出されることになります。

「勤労」

 これも社会人になるのに不可欠というより、われわれが社会を作っている根本の意味です。互いの貢献が、社会を意味あるものとして成り立たせています。私たちが生活をできるのも、人生の喜びを感じることができるのも、他の人の力を借りずにできることは1つとしてありません。皆さんがここまで成長できたのも、親をはじめ多くの人のお陰です。皆さんが食べるもの、身に付けるもの、使う道具、考えること、どれも多くの人の恩恵に依ります。これが私たち人間社会であり、人間の歴史です。

 皆さんはその一隅をこれから担っていくことになります。それが仕事をするということです。どんな仕事が向いているのか、模索が必要です。でも勉強や修業もせずに、人の役に立てるような生まれつきの天才はいません。誰もが失敗を重ねながら、それに負けず、努力を続けた人が、沢山の人に貢献できる大人物になるのです。勤労は、勉強し、修業し、人に、世に貢献できるようになることです。

人生を開く鍵

 社会に出て行く上で、「礼節・勤労」は社会人の扉を開ける鍵です。

 でもそれだけではありません。幸せな人生を開く鍵でもあります。

 人間の幸せは、お金のあるなしや、持ち物の多い少ないでは決まりません。

 人から愛され、必要とされ、褒められたり、役に立てるかです。これが人生の意味、生きがいになるのです。

 そのためにも「礼節・勤労」は欠かせないのです。愛され、褒められるには礼節が不可欠ですし、必要とされ、役に立つには勤労が不可欠です。

 本学の教育目標、全学DP(学位授与の方針)は5つの柱でできています。建学の精神「礼節・勤労」は底にある2本柱です。「礼節・勤労」と言いますと、一見、他人に対して仕えること、気を遣うことのように見えますが、それは違います。

 1番目の柱「礼節」を詳しく見ますと、「Ⅰ 自他を大切にし、礼儀正しく行動できる。」とあり、(礼節、人間尊重の精神)と謳っています。他人を大切にするのでなく、自他を大切にと書いてあります。そして人間尊重の精神となっているのです。2番目の柱「勤労」も、「Ⅱ 自己と環境をより良くできる。(勤労、問題解決力)となっているのです。

 これ見て分かるように、礼節には他人だけでなく自分を大切にすることが含まれているし、勤労には環境を良くするだけでなく、自分をより良くする事が含まれているのです。これはなぜでしょう。

 自分を大切にできない人は、他人も大切にできません。

 嫉妬、やきもちというやっかいな感情が、人間にはあります。他人をうらやむ心です。人はいいな、自分は惨めだなと思う心です。これは誰も起こる感情で、皆さんも経験するし、私も経験します。これがやっかいなのは、無意識のうちに他人に意地悪したくなったり、いじめになったり、嫉妬がたまれば人を殺したくもなる感情だからです。嫉妬の根底には、自己愛があります。自分を大切にしたい、プライドを持っていたい、人に負けたくないという心です。

 自分を大切できていないと、人に対してマイナスの感情を持ちがちなのです。イライラすると弱い者を見つけて八つ当たりしがちです。自分に自信が持てないと他人に攻撃的になりがちです。自分がみじめでやけになると、人にぶつけて憂さを晴らす人がいます。自分を大切にできて、自分に自信を持っていられる人は、少しのことで自分を否定されたように動揺し、人を攻撃したりしません。自分を大切にできない人は、他人も大切にできないのです。

 皆さんには、自分に自信が持てない人が多いように見えます。自分を好きになれない人が多いように見えます。それは自分を嫌ってばかりいて、いたわってこなかったからです。

 自分をいたわるとは、自分自身の為に時間を使って、良いことをしてあげることです。自分を育ててやって、自分に少しで良いから自信を見つけて、自分を好きになっていってください。

一日一善、颯爽と行動しよう

 建学の精神(礼節・勤労)を身に付けて、行動できる人になるために、毎日、人に良いことをすると共に、自分に良いことを考えて追求する生活を実践して欲しいのです。

 考えて実践する中で色々な発見が生まれてくると思います。本当に自分に良いこととは何か、本当に他人に良いことが何か、考えも色々変わると思います。それが自分の成長です。まずは手始めとして、今思いつくことを書き出してみましょう。自分に良いことは例えば、睡眠をしっかりとること、無駄な時間を省くこと、知らない言葉にあったら、颯爽と意味を調べ、それを使えるようにする事など、人によって、思い当たることは違うでしょう。他人に良いことは、他人の気持ちを気遣い、嫌がっていることや困っていることに気づく、そして他人が喜んでくれそうなことをしてみる、ということがあるでしょう。教室に汚れている所があったら、颯爽と自分できれいにするということを考える人もいると思います。

 大切なのは、躊躇せず颯爽と実行に挑むことです。できた日にはカレンダーに◎、○をつけて実行を確認しましょう。1週間に3善から始めても構いません。実行を繰り返せば習慣になります。習慣は第2の天性と言います。これまでも話しましたが、3週間続けることから実行は苦しくなくなり、新しい習慣が生まれます。実りの秋、是非良い習慣作りを始めて欲しいと思います。

善い仲間(学友)になろう

 自分の考え、実践を自分一人の思いの中に閉じ込めるのでなく、学友と分かち合って欲しいのです。礼節・勤労を互いに追求しながら、考えたことを交換し合えば、更に豊かな発見・気づきが生まれ、人生観が深まっていきます。

 私たちの校歌の1番は

「集ひきてけふこそ学べ 若きわれらの夢ははるけし」

 2番は

「人らしき人にあるべく 若きわれらの道はけはしき」

 3番は

「よき友に会ひて語らん 若きわれらの花は友垣」とあります。

 

後期が実りの秋になることを祈っています。皆さんの健闘を祈ります。

(2016/10/04記)宗和太郎

「小さな芽」から始まる物語

 「一日の計は朝にあり、一年の計は春にあり、一生の計は少壮の時にあり。」

 本学では、安井息軒の「三計の教え」をよく引く。目標があればこそ、努力が生まれ、継続が進歩を生む。

 

 しかし目標はあっても、努力はしても、進歩はなかなか表れない。

 疲れる。自分に才能はないと悲しくなる。他にもっと面白い事があるように思えてくる。

 

 3週間頑張ってみよと私は言う。3週間の挑戦が自分に「小さな芽」を生む。

 

 しかしこの「小さな芽」は、誰にもは見えない。多くの大人は「そんなもの」と言って取り合わない。気づかれなかった哀れな芽はすぐに枯れる。

自分に何か得意なことがある人は振り返って欲しい。それは、生まれつき得意ではなかったはずだ。誰かが「小さな芽」に気づいてくれた! お母さん? 先生? 友だち?

 

 「お話し上手ね」「きれいな絵ね」「ピーマン食べられるんだ」

 気づいて貰えた小さな芽は、自分にちょっぴり自信を持ち、期待に応える努力を始める。

 小さな芽が育ち始める。

(2016/08/25記)宗和太郎

幸運の女神は後ろ髪がない

 人生は選択の連続です。沢山の枝分かれした道、その1つを辿って今日ここまで来ています。でもたいていは枝分かれしていたことに気づかずに、目の前の道を辿ってきました。それがどこに向かっているかも大して気にせずに。

 確実なのは、これからも1つを選び、歩んでいかなければならないということです。

 過去の選択を変えることはできません。でも過去の反省をもとに、これからの選択を賢明に考えることはできます。それが自分の人生を作るということであり、自分の人生に責任を持つということです。

 

 パスカルというフランスの哲学者は「人間は考える葦だ」といいました。水辺に生える葦は中が空洞で、すぐ折れます。風が吹けば、ものがぶつかればすぐ折れます。人間の命も同じように儚いものです。地震・津波、テロ、クーデター、事件・事故、病気で、誰かが愛していた、誰かを愛していた尊い命が失われていきます。誰がいつ死ぬかは誰も分からないのです。

 この儚い命に対して、パスカルは人間は考えることができる所に人間の偉大さを見つけました。

 考えて選択を選ぶ事ができるのが人間の偉大さです。ただ流されるように漂っているだけでは、葦のままです。自分の自己判断スイッチを入れ、自分の選択をしましょう。

 

 幸運の女神には後ろ髪がないそうです。四つ辻で出会っても、ボッとしていて気づいたときには通り過ぎています。慌てて追いかけても、後ろ髪がないので捕まえられません。出会ったその瞬間に掴まなければならないのです。

 

 人の幸せは人から愛され、人の役に立ち、人から必要とされる事です。そのためには建学の精神「礼節・勤労」をしっかり身に付ける必要があります。礼節は配慮ができることです。他人は勿論、自分を貶めてはいけません。他人・自分に配慮ができる人になってください。そのことで人々から愛される人間になってください。勤労は貢献ができることです。他人に役立ち、喜ばれる人になってください。そのためには自分の知識は勿論ですが、思考力・判断力・行動力を高めて、他人への貢献力を高めてください。

 

 実践し、続けることが自分の限界を押し破ります。続ける中で自分の中の何かが(体質)が変わっていくのです。私はこの間、3週間の実践が新たな習慣を自分に根付かせるということを提唱してきました。

 私自身の例をいえば、禁煙、片道10キロの自転車通勤、25キロのダイエット、本を読み続ける習慣、最近の実践は昨年の今頃から始めたスクワットと腹筋です。スクワットを50回から始めて今は600回を越えるようになりました。腹筋も30回くらいから始めて、この1年で500回を越えられるようになりました。週1〜2回の実践ですが、最初は思いも寄らなかった遠くまで来たと実感します。

 

 一日一善以上の実践を3週間続けましょう。実践するのは、自分に良いこと、他人に良いことそれぞれ一日一善以上です。できた日には手帳の日に二重○、あるいは一重○を、翌日の朝つけてみたらどうでしょう。自分に良いこととは、例えば読書、運動、何か我慢できるようになる、危険を世どうする行動等です。他人に良いこととしては、人の気持ちになる(配慮する)、手伝う、掃除する、準備する、貢献する等です。

 行動の原則は、人にされて嫌なことはしない(トイレをきれいに使う、バスや電車の中での大声を出さない、場所取りをしない等です)。そして、自分がされたら嬉しいことを人にする(教室で他人の残した消しゴムかすでも片付ける、机をきれいに整理整頓する等です)。

 

 幸運の女神は、自分から率先して良いことを実践し続けている所に近づいてきてくれるのだと思います。

(2016/08/02記)宗和太郎

他の人がみんな輝いて見えるとき

 世の中に私と同じ人はいない。

 他の人にもその人と同じ人はいない。

 誰もが「オンリーワン」なのである。

 ということは、一人ひとり果たすべき使命はみな違う。

 

 他の人を見て、輝いていて羨ましいなと思うことがある。

 あんなに美人だったら、スタイルが良かったら、あんなに話し上手だったら、あんなに頭が良かったら、お金持ちだったら、家族にめぐまれていたら。

 自分に無いものを人に見つけるのはたやすい。

 

 自分にしかないものは何だろう。

 それはあなたの境遇だ。その境遇であなたが果たすべき使命は何だろう。あなたは天から何を期待されているか?

 その境遇のあなただからこそ、できること、貢献できることがある。

 誰かを喜ばすこと、誰かの役に立つこと、誰かの支えになること。

 

 感謝することを見つけよう。

 気づかずにいたが、自分が多くの人の好意に支えられていることに気づく。感謝してこなかった。感謝する事が何か見えてくると、自分が周りに何をできるかも気づく。

 あなたは周りから感謝される、輝く人になれるはずだ。

(2016/06/23記)宗和太郎

新聞を読もう

 新聞を読む人の数が減っているらしい。

 博報堂の調べたメディア別接触時間は、テレビが一番長く(一日あたり・週平均)153分、ついで携帯・スマホが80分、パソコンが68分、ラジオが29分、新聞が20分、タブレットが21分、雑誌が13分となる。新聞接触時間は年を追う毎にに減り、携帯・スマホが急成長だ。

 本学現代ビジネス科の研究(昨年度統計グラフコンクール県知事賞)では、本学学生のLINEの所要時間(1日)では「5時間以上」が81人と一番多い。

 テレビは視聴率が広告収入の鍵だ。視聴者が見たい番組を届ける。つまり分かりやすく面白くなければならない。パソコンやタブレットの繋がるインターネットは個人が知りたい情報を探すとき便利だ。瞬時に関係情報源をリストアップしてくれる。アマゾンにいたってはこれまでの閲覧履歴や購入履歴から、おすすめ商品をリストアップしてくれる。それぞれ便利この上ないが、デメリットは何か。

 異質なものと出会う世界の減少である。世界は広い。その中から分かりやすく面白い事だけが選りすぐられて送られてくる。自分の興味・関心にあう情報だけが選ばれてくる。無駄がなくていいようだが、自分にとって異質な、自分の世界を広げる事実・考え方と出会う可能性は少なくなる。

 私たちが生きている世界には、様々な事実・考え方があり、正解のない中で判断を迫られる。「多くの人のあとについて行けば安心」の保障はない。日本的集団主義の中で異を唱えられず、大勢で間違った方向を進んでしまうことは昔の話しではない。今も大手の一流企業で起こっていることだ。

 そもそも人間は、その有限性からすべてを正しく知ることはできない。そして自分の認知を安定化させようとする傾向があり、自分に不都合な事実、考え方には目を閉ざす傾向がある。

 こうした自然的傾向が暴走するのを防ぐ仕組みが民主主義であり、教養のある国民による議論の文化である。

 そして国民に様々な事実、考え方を知らせるのが報道の役割である。

 新聞には異質なものと出会えるチャンスがある。興味ある記事だけでなく、そこにある様々な記事に目を通すことで、自分の世界が開かれていくのである。その出会いから新たな探求が始まることもある。こぢんまりとした世界に閉じこもりさび付かないように、新聞を読む習慣を身に付けさせたい。

(2016/06/03記)宗和太郎

新しい酒は新しい革袋に盛れ

 新館が竣工して2ヶ月になる。清武川うねる平野を見下ろし、正面間近に双石山を迎える。晴れた日には青空と新緑がまぶしい。遠く日向灘や宮﨑の街並みの向こうにシーガイアが見える。

 本学創立51年、ずっと古くからの建物を大切に使ってきた。耐震上の不安もあって、待ちに待った建て直しである。エレベータもある4階建て、眺望も設備もよく、空調も優れている。だが、今一つ使い慣れない。ピカピカの校舎で勿体ないような、そぐわないような異邦人感はある。

 街で卒業生に出会うと、短大に新しい校舎が建ったから見においでと誘う。果たして見に来て彼女たちは喜ぶのだろうか。7年前、礼法を学ぶ明教庵を取り壊し新築した時、取り壊す12月に別れを惜しんで毎日そこで夕焼けを眺める茶道部の学生がいて、一緒したことがある。卒業生にとって、建物は立派でも、思い出のない校舎には何の感慨もないかもしれない。

 学生諸君、新しいキャンパスで、いっぱい思い出を刻んで欲しい。友との語らい、時には喧嘩。授業で目が開かれる瞬間、自分の目指すものに出会う瞬間。必死で勉強したあの時、褒められたこと、たしなめられたこと。貴重な青春の1頁がここでたくさん生まれることを願う。もし、その瞬間に関わりが持てたら有り難い。

(2016/06/02記)宗和太郎

失敗と誇り

 来週から2年生が実習に出かける。

 自分を待つ子どもたちから笑顔が貰えれば、100倍の元気が出る。

 でも子どもたちから笑顔が生まれず、先生たちから悪い所を指摘されれば、元気は1/100に萎む。落ち込み、失敗、落ち込み、失敗の負のスパイラルを下降しかねない。

 失敗は避けられない。問題は失敗に向き合う態度である。自分はダメだと放り投げるか、失敗から学ぶかである。失敗は成功のもとなのである。放って置かれた失敗は、繰り返され、永遠に向上は訪れない。

 イチローは4000本のヒットを人々から称えられたとき、こう言った。

 「4000本のヒットがあったということは、僕の計算では8000本の失敗があったということだ。自分が誇りに思うのは、この8000本の失敗に一つひとつ向かい合ってきたことだ。」

 凡人は失敗から目を背けて、向上の糧にしない。努力の人は失敗に向き合い、一つひとつ向上の糧を得る。

 人生に遅すぎるということはない。人生に取り返しの付かない失敗はない。失敗に向き合い、自分を強くしていこう。

(2016/05/28記)宗和太郎

使命感をもって始める

 4月は始まりの月である。新入生も2年生にも、教職員も新たな始まりがある。

 始まりは節目として、自分の生活を見直すチャンスである。何かを始める、ということは何かを止めるチャンスでもある。

 

 本学では幕末の儒者安井息軒の「三計の教え」をことある毎に引く。

 「一日の計は朝にあり、一年の計は春にあり、一生の計は少壮の時にあり」

 学生たちに、卒業は社会への貢献を始める時であると話した。学生時代は、自分は何をもって貢献するか見定め、自分作りをするときであると。

 

 就職は、お金を稼ぐために働く「義務」だという考え方がある。それでは幸せな人生は訪れない。稼いだお金で使うものに幸せを求めてしまい、幸せを仕事に求めないからである。欲望は膨張し止まらないし、手に入るのは一部の、一時の満足、喜びである。

 仕事の向こうに多くの人からの感謝があることこそ、仕事のやりがいであり、生きがいになり、幸せに繋がるものである。

 職業はcalling(英)、Beruf(独)である。いずれも「天から呼ばれる」の意味である。自分が天下のどこを支えるか、何に貢献するかという使命なのである。

 

 「義務感で始める」のは、嫌々仕方なく始めるから、止めたくなる。

 「使命感で始める」のは、それが自分を活かす道であり、自分を必要とする人、喜ぶ人が待っているから、それを楽しみに研鑽を積み、自己を成長させる。

 

 アクティブラーニング(能動的学習)への転換が必要といわれるが、動機として大切なのは、単位でもなく、義務感でもなく、人の役に立ちたい、人に貢献したいという使命感ではなかろうか。

 教える側にも同じく、義務感ではなく、学生に人に貢献できる幸せな人生を送って欲しいという使命感が必要だろう。

 

 貢献する喜びを目指して、始めたい。

(2016/04/15記)宗和太郎

時熟性(3週間のかべ)

 人間の成長には時間の積み重ねに応じて伸びていく連続的なものと、ある時間変化を起こさず、突然階段を登るように変化が起きる非連続的なものがあることに注目したのは、ドイツの教育学者ボルノウであった。

 毎日漢字や単語を覚えていくのは前者の連続的成長である。やればやっただけの成果が出る。しかしそうはいかないのが技能の習得や人格の成長である。水泳、自転車、人前でしゃべること等、あるいは不登校の子が学校へ行き出す、たばこを禁煙する等。これらはある日突然できるようになっていることに気づく。

 突然ということに目を奪われると、「いつかできるようになる」と棚ぼたの幸運に期待するか、あるいは「自分には向いていない」と自分の素質のせいにして、努力に目を向けない。

 「セレンディピティ」という面白い言葉がある。思いもかけず幸運をつかむ能力である。いわゆるノーベル賞級の発見というは、まさにそれに当たるが、その発見の過程を辿れば何十年にも及ぶ実を結ばぬ不運の試みがあったことだろう。発明王エジソンは1つの成功の陰には999回の失敗があったと言う。一つ一つの失敗が、間違った選択肢を消して1000回目の成功を導いた。

 何かができるようになるためには、成果が出ない日々に耐え、精進する根気が必要である。外国語の習得には1000時間の学習が必要と言われる。三日坊主では芽も出ない。私は経験則から「3週間のかべ」というのを唱えている。新たな習慣を自分に付けさせるには、3週間それを毎日続けることだ。1週目は苦しい、2週目はもっと苦しい、でも3週目はあと少しで終わるから頑張れる。そして4週目には苦もなくそれがやれるようになっている。私は片道10キロの自転車通勤をこれで始めた。禁煙にも成功した。他にもあるが、学生時代「3週間のかべ」を乗り越えることから、新しい自分に挑戦して欲しい。

(2016/02/02記)宗和太郎

殻を破ること

 就職面接において最近よく聞かれる質問に「学生時代の失敗体験から学んだこと」というのがある。失敗に注目するのはなぜだろう。

 大学教育学会のシンポジウムで大手企業の人事経験者が、入社試験で見るのはその人の人間性で、大学で何を学んだか(専門性)は一切顧慮しないと発言し、大学関係者がどよめいたことがある。文学部も経済学部も工学部も関係ないと言ったのである。

 企業が求めている人材像を一言で言えば「自ら選択し、考え、行動し、やりきる力」であり、最近の新入社員は「素直で協調性があり、真面目だが、受身で、考える習慣がなく、答えのない状況への不安感が強く、失敗を極度に恐れる」と表現した。

 人間は何も知らず、何も分からず生まれてくるのだから、人間に失敗は避けられない。むしろ人間は失敗から学ぶことで、自分を成長させるのである。自分の置かれる境遇が次々変われば、そのたびに失敗を重ね学習しなければならない。だが、失敗には多かれ少なかれ痛みが伴う。痛みは恐れや不安を引き起こし、避けたい気持ちが出てくる。失敗なくして成長できないが、失敗の痛みは避けたい、どうしたらいいか。

 成長をあきらめ、余計なことをせずに済む安楽な環境を見つけ引きこもるか。しかし現実にはそんな安楽の地は見つからない。

 そうならば、痛みに耐えられる力を徐々に身に付けていくかしかない。見落とされがちだが、私たちは誰しも痛みに向かう小さな芽を持っている。安楽なだけでは退屈と思う心、刺激を求める好奇心である。変わった物を見てみたい、変わった所へ行ってみたい、変わった事をしてみたい。そんな誰にも備わっている冒険心、子どもの自由な心を羽ばたかせるのである。そして思ってもいなかった事に出会い、自分を成長させるのである。冒険を重ねて自分に自信がついてくれば、大きな痛みを伴うかもしれない大きなチャレンジにも挑戦できていく。

 ドイツの教育学者ボルノウは、体験と経験の違いを痛みを伴うかどうかで分けた。体験は知っていることを実地で確かめることで、自分に大きな変化はない。経験はそれまでの自分の考え、やり方が通用しない事に直面し、痛みを伴い自分の考え、やり方を改める。つまり自分がバージョンアップされる。経験豊かなプロとは、何度も自分をバージョンアップさせる経験を積んでおり、新たな事態にも有効に対処できる能力を備えるのである。

 自分のバージョンアップを目指して、小さな冒険に出よう。件の人事経験者は「成功の反対は失敗でなく、不作為である」と述べた。

(2016/02/01記)宗和太郎

「宗和太郎前学長ブログ」バックナンバーはこちらをどうぞ。